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楚辞「漁父辞」
カテゴリー 日本
11/13、北海道国際経済セミナーで、講師宋文洲氏は、講話のなか、中国戦国時代の詩人屈原の「漁父辞」を用いて、日本が現在遭遇している国際、国内の問題に、中国の古代智慧で、新たな考え方を提言しました。

大河の水は、時に澄み、時に濁る、水が綺麗な時、纓(冠のひも、ここでは、大切な物という)をあらい、汚れて濁った水であっても、自分の泥だらけの足を洗うには十分ではないかの素朴且つ柔軟な魚父の思想を説明しました。

大河の水、濁っていることのほうがふつうかもしれない、そのことをただ怒ったり嘆いたりして日を送るのは、はたしてどうなのかが古代施政思想の哲学でしょう。

変化と適応、柔軟と持続、宋氏は分かりやすい言葉で、北海道、日本の問題解決にヒントをあげました。

例えば、ストーカーはなぜ問題になるのは、相手のニーズが読めないからです。営業も同じことです。顧客のニーズが分からないと、仕事もならないです。北海道の問題、日本の問題の解決は、同じ発想が必要です。

仕事も、人生も楽しくなれば、社会も良くなります。愛国は必要ですが、まず自分の成功が実現してください。常に状況を意識して、チャンスを掴む、自分で確認して行動を起こして欲しいです。

宋先輩の話、とても参考になります。

*楚辞「漁父辞」屈平(屈原)
屈原既放,游於江潭,行吟澤畔,顏色憔悴,形容枯槁。漁父見而問之曰:「子非三閭大夫與?何故至於斯?」屈原曰:「舉世皆濁我獨淸,衆人皆醉我獨醒,是以見放。」漁父曰:「聖人不凝滯於物,而能與世推移。世人皆濁,何不淈其泥而揚其波?衆人皆醉,何不餔其糟而歠其釃?何故深思高舉,自令放爲?」屈原曰:「吾聞之:新沐者必彈冠,新浴者必振衣。安能以身之察察,受物之汶汶者乎?寧赴湘流,葬於江魚之腹中,安能以皓皓之白,而蒙世俗之塵埃乎?」漁父莞爾而笑,鼓枻而去。乃歌曰:「滄浪之水淸兮,可以濯我纓,滄浪之水濁兮,可以濯我足。」遂去,不復與言。

屈原:戦国時代の楚国の王族・屈姓の出身。嘗て楚の懐王に三閭大夫に任じられるが、やがて疎んじられ、頃襄王のとき、讒言のため、職を解かれた上、都を逐出されて各地を流浪した。その放浪の折り、多くの慷慨の詩篇辞賦を残した。 やがて、秦が楚の都郢を攻めた時、屈原は汨羅(現・湖南長沙の南方)に身を投げて自殺した。時に、前278年の五月五日で、端午の節句の供え物(粽)は、屈原を悼んでのものともいう…。
2012-11-18