▼陶氏療法バックナンバー
2024-04-27
新規患者さんラッシュ
2024-04-23
縁と奇跡(尿管癌・骨、リンパ転移)
2024-04-15
診療院に戻った(肝臓がん転移・再発)
2024-04-13
健康講演再注文されました
2024-04-09
健康相談(電磁場・化学物質過敏症)108分
2024-03-26
患者さんの苦痛を体験する(足痛い)
2024-03-22
C型急性肝炎・慢性肝炎・肝硬変・肝臓がん
2024-03-20
愛心看病のご褒美(逆流性食道炎)
2024-03-17
大腸がん術後の肝臓転移患者施療再開
2024-03-16
遠隔治療との共同作業(脳腫瘍再発)
2024-03-14
春の朗報(好酸球性多発血管炎性肉芽腫症)
2024-03-03
足のむくみが消えた(胆管がん術後)
2024-02-29
陶氏療法の刮痧(カッサー)と幹細胞(末期すい臓癌)
2024-02-22
ウイルス性疣贅(イボ)が消えた(脳腫瘍再発)
2024-02-13
新年と正月*
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食事養生と薬治療
カテゴリー 陶氏療法
父は7人兄弟の三男として東京の神田で生まれ、戦争中の混乱の影響で、7人の兄弟のうち、二番目、四番目、六番目、七番目の兄弟(全員男の子)が二歳未満で肺炎で亡くなりました。
長男、三男、五男を連れて、父は上海に避難しましたが、長男も成人前に亡くなりました。残された父と五歳年下の弟は、新中国の誕生を迎える、上海で育ちました。栄養不足の父(少年期)は自宅の近くの高架橋の階段で倒れ、帰宅中のお爺さんに見つけられ、病院での検査の結果、ビタミンB12欠乏症と診断され、定期的な注射を受けて治療しました。叔父は喘息を患っており、結婚後、叔母は食事療法を取り入れ、できる限りの栄養を摂取し、喘息の吸入薬を使用していました。人生の最後まで、喘息の吸引薬はやめれなかったです。
二人が高齢になるにつれ、父は私の食事養生を実践し、同じ方法を叔父に勧めましたが、叔父は拒否しました。70代で心臓病を発症し、バイパス手術と7本のステントの挿入手術を受けました。その後、西洋医学の薬を常用するようになりました。去年、叔父は85歳で亡くなりました。
父は忠実に食事療法を実践し、病院からの薬をほとんど服用しませんでした。現在90歳で、健康です。他人から見れば、叔父が85歳で長生きしたと思うかもしれません。しかし、身体が弱い兄と比較すると、健康寿命が延びていないことは、二人の健康観が異なる可能性があることを示唆しています。
叔父の長女は医療関連の職業に就いており、婿も外科医です。医療サービスにはアクセスが容易なため、叔父は医療面で助けを受けることができます。今は、叔父の婿が定年し、同じ心臓病の手術を受けました。健康寿命を計算するかどうかは、基準に任せます。
私は西洋医学を学んだ後、その限界を認識し、中国医学に回帰しました。薬治療から食事養生に切り替え、病気を治す医者(下医)から病気を予防する医者(中医)、そして社会的に病気にならないようにする医者(上医)に切り替えました。その結果、自分自身だけでなく、家族全体が中国医学の恩恵を受けることができました。両親のすべての病気を乗り越え、後遺症もなく元気に回復しました。西洋医学の救急治療を利用しながら、生活習慣病に対する改善も行い、病気の予防にも力を入れました。
叔父が私のアドバイスを受け入れないことは残念ですが、父がより元気で長生きし、100歳まで生きられれば、私も120歳まで元気でいられると信じています。
長男、三男、五男を連れて、父は上海に避難しましたが、長男も成人前に亡くなりました。残された父と五歳年下の弟は、新中国の誕生を迎える、上海で育ちました。栄養不足の父(少年期)は自宅の近くの高架橋の階段で倒れ、帰宅中のお爺さんに見つけられ、病院での検査の結果、ビタミンB12欠乏症と診断され、定期的な注射を受けて治療しました。叔父は喘息を患っており、結婚後、叔母は食事療法を取り入れ、できる限りの栄養を摂取し、喘息の吸入薬を使用していました。人生の最後まで、喘息の吸引薬はやめれなかったです。
二人が高齢になるにつれ、父は私の食事養生を実践し、同じ方法を叔父に勧めましたが、叔父は拒否しました。70代で心臓病を発症し、バイパス手術と7本のステントの挿入手術を受けました。その後、西洋医学の薬を常用するようになりました。去年、叔父は85歳で亡くなりました。
父は忠実に食事療法を実践し、病院からの薬をほとんど服用しませんでした。現在90歳で、健康です。他人から見れば、叔父が85歳で長生きしたと思うかもしれません。しかし、身体が弱い兄と比較すると、健康寿命が延びていないことは、二人の健康観が異なる可能性があることを示唆しています。
叔父の長女は医療関連の職業に就いており、婿も外科医です。医療サービスにはアクセスが容易なため、叔父は医療面で助けを受けることができます。今は、叔父の婿が定年し、同じ心臓病の手術を受けました。健康寿命を計算するかどうかは、基準に任せます。
私は西洋医学を学んだ後、その限界を認識し、中国医学に回帰しました。薬治療から食事養生に切り替え、病気を治す医者(下医)から病気を予防する医者(中医)、そして社会的に病気にならないようにする医者(上医)に切り替えました。その結果、自分自身だけでなく、家族全体が中国医学の恩恵を受けることができました。両親のすべての病気を乗り越え、後遺症もなく元気に回復しました。西洋医学の救急治療を利用しながら、生活習慣病に対する改善も行い、病気の予防にも力を入れました。
叔父が私のアドバイスを受け入れないことは残念ですが、父がより元気で長生きし、100歳まで生きられれば、私も120歳まで元気でいられると信じています。
2024-02-03