▼陶氏療法バックナンバー
2025-12-14
我が家とFFCパイロゲン
2025-12-12
命と気持ち(骨軟部腫瘍(肉腫))
2025-12-10
中国医学と哲学①
2025-12-02
量子療法の威力骨軟部腫瘍(肉腫)
2025-11-26
植物の入退院
2025-11-11
健康意識の若年化(胃腸弱い)
2025-10-29
陶氏療法中の量子療法技術 その一:刮痧(カッサ)
2025-10-24
朗報:乳がん消失
2025-10-21
医療の目的
2025-10-12
施療後の感想にみる生命の調律― 未病学エッセイ ―「子宮筋腫」,「不整脈」,「糖尿病」
2025-10-02
DENBAマットの実験
2025-09-28
耳石症
2025-09-26
病気の原因
2025-09-24
入浴剤の発汗作用と寒気への対応(風邪予防&治療)
2025-09-14
食事療法の主役~自宅で作る発芽発酵玄米ごはん~
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我が家とFFCパイロゲン
カテゴリー 陶氏療法
今年、抗酸化飲料「FFCパイロゲン」は誕生40周年を迎えました。株式会社赤塚、赤塚会長、赤塚社長、そして社員の皆様に心よりお祝い申し上げます。
振り返りますと、私が診療院を1998年10月に開設し、その約1年後にFFCパイロゲンと出会いました。さらに翌年の2000年11月24日に入会してから、早いもので25年が経ちました。この間、私自身はもちろん、娘、義父母、私の両親など、家族全員がFFCパイロゲンにお世話になり、生活に欠かせない存在となりました。
最初の出会いは、診療院に通っていた糖尿病の患者さんからの紹介でした。「何でも試してみてください」と勧められましたが、当初は正直なところ半信半疑でした。その後、患者さんは紹介者である永易修さんを連れて来院され、キュウリや釘の錆びの実験を見せながら説明してくださいました。確認のためにいただいたFFCパイロゲン1本を使い、私自身で多くの実験を行いました。キュウリやホウレンソウ、むきエビなどを用い、1000倍希釈液と水道水で鮮度保持を比較し、そのサンプルを診療院のショーケースに展示しました。すると多くの患者さんから質問を受け、その患者さん自身も“証人”となって、FFCパイロゲンの健康への活用を始められました。
結果は、キュウリやホウレンソウの鮮度保持が目で見て分かるほど良好でした。釘も錆びず、今も残っています。一方、むきエビは1000倍希釈では効果が及ばず、そのまま腐敗しました。その後、動物性食品には原液が必要であることを理解しました。同時期に、末期肝臓がん患者さんが飲用と腹部湿布に用いたところ、腹水が減少するのを目の当たりにし、大きな驚きを覚えました。すぐに会社の研修に3週連続で参加し、リーダーとなりました。その後も学びと実践を重ね、次々と驚くべき現象を経験していきました。
まず、娘の例です。2000年5月、生後5か月の娘が上海へ帰省中にアイスクリームを食べたことをきっかけに下痢を起こし、細菌性髄膜炎を発症しました。現地の医師からは「経過観察(放置)」を勧められましたが、私たち家族は到底納得できず、私自身も上海の病院で治療に関わりました。その後、帰国時にそのまま連れて帰り、札幌市立病院で入院治療を継続しました。状態が安定して退院後、自宅でFFCパイロゲンの飲用を開始したところ、娘は嫌がることなく喜んで飲んでくれました。その後、娘と兄の息子2人は、保育園から小学校、中学校、大学まで、病欠することなく成長しました。娘はアメリカのUCSAを卒業後、カリフォルニア州のCPP大学院を修了し、現在はアメリカで就職しています。髄膜炎の後遺症が残らなかったのは、FFCパイロゲンのおかげだと感じています。今でも娘はFFCパイロゲンの愛用者です。
次は義父の例です。2002年8月、80歳の義父は前立腺肥大で手術を受けましたが、病理検査で前立腺がんと診断されました。その後の検査で肋骨への転移も見つかりました。義父は抗がん剤や放射線治療を選択せず、陶氏診療院での治療と、伝統療法、FFCパイロゲンを併用しました。2年後には転移していたがんが消失し、血圧や脂質異常も正常化し、元気を取り戻しました。
三番目は妻自身です。二人の子どもを出産後、体重が20kg以上増加しましたが、体質改善に取り組み、FFCパイロゲンも活用することで、最終的に22kgの減量に成功しました。
四番目は私の父です。溶接の仕事仲間は60歳で定年後、65歳前後で亡くなる方が多く、父自身も「自分は65歳までしか生きられない」と思っていました。しかし定年後に来日し、私のケアとFFCパイロゲンの飲用を始めました。80歳のときに2度の血尿を乗り越え、現在は91歳になります。今でも私と卓球をして、時には私に勝つほど元気です。
五番目は義母です。79歳のときに大腸がんと診断され、上海にいる医科大学の同級生が大腸手術を受けたのを機に、自身も食事改善(玄米食)とFFCパイロゲンを継続しました。現在87歳となり、上海で元気に生活しています。
六番目は私の母です。糖尿病、脂質異常症、肝機能障害を抱え、2012年5月には右基底核部の脳梗塞を発症し、構音障害と左片麻痺で入院しました。退院後は陶氏診療院での施療を受け、真面目にFFCパイロゲンを飲用しました。その結果、後遺症も残らず、糖尿病も克服し、88歳となった今も私と卓球で勝負ができるほど元気です。
FFCパイロゲンは、私の仕事においても大きな助けとなりました。がん患者さんをはじめ、免疫異常や難病の患者さんに幅広く活用し、毎年の未病学会や統合医療学会で治療の成功事例を発表し、その応用を社会に伝えてきました。診療院では、FFCパイロゲンの力で植物が季節ごとに生き生きと育ち、来院される方々から「気持ちがいい場所ですね」と言っていただける“パワースポット”になっています。
私自身もFFCパイロゲンを活用し、還暦を過ぎても疲れを感じにくく、肌の艶が自慢です。バドミントンでは連続ジャンプをしても周囲を驚かせます。子どもの卒業式に参加するため、この3年間は毎年アメリカへ渡航しましたが、時差ぼけもなく、帰国後すぐに講演や診療に取り組むことができました。
これからは子どもたちの結婚、そして“パイロゲンベビー”である孫の誕生を楽しみにしながら、FFCパイロゲンを我が家の大切なパートナーとして、これからも共に歩んでいきたいと思います。
振り返りますと、私が診療院を1998年10月に開設し、その約1年後にFFCパイロゲンと出会いました。さらに翌年の2000年11月24日に入会してから、早いもので25年が経ちました。この間、私自身はもちろん、娘、義父母、私の両親など、家族全員がFFCパイロゲンにお世話になり、生活に欠かせない存在となりました。
最初の出会いは、診療院に通っていた糖尿病の患者さんからの紹介でした。「何でも試してみてください」と勧められましたが、当初は正直なところ半信半疑でした。その後、患者さんは紹介者である永易修さんを連れて来院され、キュウリや釘の錆びの実験を見せながら説明してくださいました。確認のためにいただいたFFCパイロゲン1本を使い、私自身で多くの実験を行いました。キュウリやホウレンソウ、むきエビなどを用い、1000倍希釈液と水道水で鮮度保持を比較し、そのサンプルを診療院のショーケースに展示しました。すると多くの患者さんから質問を受け、その患者さん自身も“証人”となって、FFCパイロゲンの健康への活用を始められました。
結果は、キュウリやホウレンソウの鮮度保持が目で見て分かるほど良好でした。釘も錆びず、今も残っています。一方、むきエビは1000倍希釈では効果が及ばず、そのまま腐敗しました。その後、動物性食品には原液が必要であることを理解しました。同時期に、末期肝臓がん患者さんが飲用と腹部湿布に用いたところ、腹水が減少するのを目の当たりにし、大きな驚きを覚えました。すぐに会社の研修に3週連続で参加し、リーダーとなりました。その後も学びと実践を重ね、次々と驚くべき現象を経験していきました。
まず、娘の例です。2000年5月、生後5か月の娘が上海へ帰省中にアイスクリームを食べたことをきっかけに下痢を起こし、細菌性髄膜炎を発症しました。現地の医師からは「経過観察(放置)」を勧められましたが、私たち家族は到底納得できず、私自身も上海の病院で治療に関わりました。その後、帰国時にそのまま連れて帰り、札幌市立病院で入院治療を継続しました。状態が安定して退院後、自宅でFFCパイロゲンの飲用を開始したところ、娘は嫌がることなく喜んで飲んでくれました。その後、娘と兄の息子2人は、保育園から小学校、中学校、大学まで、病欠することなく成長しました。娘はアメリカのUCSAを卒業後、カリフォルニア州のCPP大学院を修了し、現在はアメリカで就職しています。髄膜炎の後遺症が残らなかったのは、FFCパイロゲンのおかげだと感じています。今でも娘はFFCパイロゲンの愛用者です。
次は義父の例です。2002年8月、80歳の義父は前立腺肥大で手術を受けましたが、病理検査で前立腺がんと診断されました。その後の検査で肋骨への転移も見つかりました。義父は抗がん剤や放射線治療を選択せず、陶氏診療院での治療と、伝統療法、FFCパイロゲンを併用しました。2年後には転移していたがんが消失し、血圧や脂質異常も正常化し、元気を取り戻しました。
三番目は妻自身です。二人の子どもを出産後、体重が20kg以上増加しましたが、体質改善に取り組み、FFCパイロゲンも活用することで、最終的に22kgの減量に成功しました。
四番目は私の父です。溶接の仕事仲間は60歳で定年後、65歳前後で亡くなる方が多く、父自身も「自分は65歳までしか生きられない」と思っていました。しかし定年後に来日し、私のケアとFFCパイロゲンの飲用を始めました。80歳のときに2度の血尿を乗り越え、現在は91歳になります。今でも私と卓球をして、時には私に勝つほど元気です。
五番目は義母です。79歳のときに大腸がんと診断され、上海にいる医科大学の同級生が大腸手術を受けたのを機に、自身も食事改善(玄米食)とFFCパイロゲンを継続しました。現在87歳となり、上海で元気に生活しています。
六番目は私の母です。糖尿病、脂質異常症、肝機能障害を抱え、2012年5月には右基底核部の脳梗塞を発症し、構音障害と左片麻痺で入院しました。退院後は陶氏診療院での施療を受け、真面目にFFCパイロゲンを飲用しました。その結果、後遺症も残らず、糖尿病も克服し、88歳となった今も私と卓球で勝負ができるほど元気です。
FFCパイロゲンは、私の仕事においても大きな助けとなりました。がん患者さんをはじめ、免疫異常や難病の患者さんに幅広く活用し、毎年の未病学会や統合医療学会で治療の成功事例を発表し、その応用を社会に伝えてきました。診療院では、FFCパイロゲンの力で植物が季節ごとに生き生きと育ち、来院される方々から「気持ちがいい場所ですね」と言っていただける“パワースポット”になっています。
私自身もFFCパイロゲンを活用し、還暦を過ぎても疲れを感じにくく、肌の艶が自慢です。バドミントンでは連続ジャンプをしても周囲を驚かせます。子どもの卒業式に参加するため、この3年間は毎年アメリカへ渡航しましたが、時差ぼけもなく、帰国後すぐに講演や診療に取り組むことができました。
これからは子どもたちの結婚、そして“パイロゲンベビー”である孫の誕生を楽しみにしながら、FFCパイロゲンを我が家の大切なパートナーとして、これからも共に歩んでいきたいと思います。
2025-12-14



