2026-03-01
「統合医療と死生観」— 日本統合医療学会 北海道支部学習会 —
2026-02-28
「風呂(26)の日」―中医学から見る入浴の力
2026-02-27
錯覚について
2026-02-26
花麒麟と環境――長生きとは何かを考える
2026-02-26
充実した連休(急性捻挫)
2026-02-25
健康意識:男と女(リュウマチ関節炎)
2026-02-24
「十二花の女神」—歳月へのラブレター
2026-02-23
新春快楽図
2026-02-22
老中医のまなざしで見る香港 ― 都市と人の「気」の流れ
2026-02-22
北海道中国工商会・北海道中国会共催「新春交歓会」〜風雨同行、同舟共済〜
2026-02-21
IMの打ち合わせ ― 予防医学から平和を考える
2026-02-20
さらに5歳若返る? ― 健康づくりの哲学と38年の臨床からの洞察
2026-02-19
20年のご縁 ― 肝臓がんと歩み続ける患者さん
2026-02-18
海外で過ごす除夕の日―それぞれの地に流れる春節のかたち
2026-02-17
国際量子科学技術年から考える ― 量子と中医学、札幌の冬に学ぶ調和
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「統合医療と死生観」— 日本統合医療学会 北海道支部学習会 —
2月25日、日本統合医療学会北海道支部主催の学習会「統合医療と死生観」に参加しました。
支部長であり、響きの杜クリニック院長の西谷先生がご登壇され、ご自身の臨床経験と哲学をもとに、「死」をどのように捉えるかを語られました。
西洋医学では、死は生命活動の停止であり、肉体も意識も終わりを迎えると定義されます。それは科学的に明確で、医療の現場では「救命」が最優先されます。
一方、統合医療は人を身体・心・社会・霊性を含めた「全人的存在」として捉えます。
そこには「良質な最期の時間(QOD:Quality of Dying and Death)」を支える医療も含まれます。生を支えるだけでなく、「いかに死を迎えるか」も医療の重要な役割だという視点です。
臨死体験の語りが示すもの、臨死状態から帰還した人々の記述には、「苦痛から解放された安堵」や「穏やかな感覚」が語られることが少なくありません。
健康で老衰ののち、静かに息を引き取る――それは「生命の卒業型」とも言える理想の姿でしょう。しかし現実には、多くの方が病を抱え、さまざまな苦痛の中で最期を迎えています。
医療従事者は、本人や家族の希望に応えようと懸命に治療を尽くします。けれども時に、それが延命であっても回復にはつながらず、苦痛を長引かせてしまう場合もあります。
近年、「尊厳ある死」という考え方が医療現場で広がっているのは、その反省と模索の現れでもあるでしょう。
死を「卒業式」として考える、「ピンピンコロリ」という言葉が流行したことがあります。
できるなら苦痛なく、最小限の負担でこの世を去りたい――それは多くの人の願いです。
しかしその前に、「死とは何か」という認識が問われます。
西谷先生は札幌医大の学生たちに死生観を講じておられます。そのまとめが、今回の講演内容でした。歴史や宗教、そして釈迦の悟りにも触れながら、死を哲学的に捉え直します。
死は永遠の終わりではなく、肉体という衣を脱ぐ「卒業式」。
魂は循環し、再び学びの場へと向かう――そう考えるならば、医療従事者は「良い卒業式」を整える伴走者であり、本人や家族は心を整えてその時を迎える準備が必要になります。
統合医療の視点から、統合医療の理念は、「生を最善にすること」にあります。
日々を整え、身体と心を調和させ、未病を治し、今を丁寧に生きる。
その積み重ねの延長線上に、理想の死があるのではないでしょうか。
私自身、両親も高齢となり、そろそろ「卒業式」を意識する時期に近づいています。できることなら、両親が望む形で、その日を迎えさせてあげたい。そのためにも、まずは今日という一日を健やかに、楽しみながら生きること。
生を大切にすることこそ、死を整えること。統合医療が示すのは、その静かで深い道筋だと感じました。
支部長であり、響きの杜クリニック院長の西谷先生がご登壇され、ご自身の臨床経験と哲学をもとに、「死」をどのように捉えるかを語られました。
西洋医学では、死は生命活動の停止であり、肉体も意識も終わりを迎えると定義されます。それは科学的に明確で、医療の現場では「救命」が最優先されます。
一方、統合医療は人を身体・心・社会・霊性を含めた「全人的存在」として捉えます。
そこには「良質な最期の時間(QOD:Quality of Dying and Death)」を支える医療も含まれます。生を支えるだけでなく、「いかに死を迎えるか」も医療の重要な役割だという視点です。
臨死体験の語りが示すもの、臨死状態から帰還した人々の記述には、「苦痛から解放された安堵」や「穏やかな感覚」が語られることが少なくありません。
健康で老衰ののち、静かに息を引き取る――それは「生命の卒業型」とも言える理想の姿でしょう。しかし現実には、多くの方が病を抱え、さまざまな苦痛の中で最期を迎えています。
医療従事者は、本人や家族の希望に応えようと懸命に治療を尽くします。けれども時に、それが延命であっても回復にはつながらず、苦痛を長引かせてしまう場合もあります。
近年、「尊厳ある死」という考え方が医療現場で広がっているのは、その反省と模索の現れでもあるでしょう。
死を「卒業式」として考える、「ピンピンコロリ」という言葉が流行したことがあります。
できるなら苦痛なく、最小限の負担でこの世を去りたい――それは多くの人の願いです。
しかしその前に、「死とは何か」という認識が問われます。
西谷先生は札幌医大の学生たちに死生観を講じておられます。そのまとめが、今回の講演内容でした。歴史や宗教、そして釈迦の悟りにも触れながら、死を哲学的に捉え直します。
死は永遠の終わりではなく、肉体という衣を脱ぐ「卒業式」。
魂は循環し、再び学びの場へと向かう――そう考えるならば、医療従事者は「良い卒業式」を整える伴走者であり、本人や家族は心を整えてその時を迎える準備が必要になります。
統合医療の視点から、統合医療の理念は、「生を最善にすること」にあります。
日々を整え、身体と心を調和させ、未病を治し、今を丁寧に生きる。
その積み重ねの延長線上に、理想の死があるのではないでしょうか。
私自身、両親も高齢となり、そろそろ「卒業式」を意識する時期に近づいています。できることなら、両親が望む形で、その日を迎えさせてあげたい。そのためにも、まずは今日という一日を健やかに、楽しみながら生きること。
生を大切にすることこそ、死を整えること。統合医療が示すのは、その静かで深い道筋だと感じました。
2026-03-01



