陶氏診療院

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両親の心配と誇り
日本に来て、もう33年が経ちました。その間、両親も日本と上海を行き来するようになり、やがて毎年夏の半年間は、私と一緒に暮らすのが定番となりました。今では、私自身も両親の世話をしないと落ち着かない気持ちになります。

毎日の診療の合間に、両親が診療院に顔を出すこともあります。患者さんに自慢の両親を紹介したり、時には父が患者さんと卓球を楽しんだりと、診療院の雰囲気がより健康的で温かいものになっています。

91歳になる父は、最近少し物忘れが増えてきました。毎日のように「今日は患者が何人?」と何度も尋ねてきます。私は毎回、まるで初めて聞かれたかのように「今日は◯人ですよ」と答えています。週に一度、両親に施療を行っていますが、父は施療後に「息子の治療は本当にすごい」と褒めてくれ、自分が「医者の息子で元気に過ごしていることが誇りだ」と笑顔で話してくれます。

思い返せば、私が医学部の3年生だった頃、大好きだった祖父が食道がんで亡くなりました。80歳でした。自分の力では何もできなかったことが悔しく、深く心に残りました。だからこそ、「今度こそ家族を守る」と決意したのです。

その後、6か月だった娘は髄膜炎を乗り越え、義理の父は前立腺がんの骨転移を患いましたが、2年かけて転移がんを克服しました。義理の母も大腸がんを患いましたが、同級生の医師が内視鏡手術を見事に行ってくれ、その後のケアも万全にし、今では85歳で元気に過ごしています。実母も糖尿病による後遺症から脳梗塞を発症し、半身不随になりかけましたが、リハビリを通じて後遺症もなく、現在は一緒に元気に生活しています。

親が子を育て、今度は子が親を支える。それは当然のことだと私は思っています。医療の道を選んだのも、両親の健康を支えるための「天職」だったのかもしれません。そんな私の想いに協力してくれる両親に、心から感謝しています。そして両親も、私を誇りに思ってくれており、いつも周囲の人々にその気持ちを語ってくれています。

先日、母が書いた「私は世界で一番幸せな老人」という文章が中文導報に掲載され、たくさんの友人たちから「うらやましいね」という声をいただきました。私たち兄弟も、両親の健康を誇りに思いながら、1年1年を大切に見守り、家族の幸せの記録を作っていこうと心に決めています。

いずれは三世帯ではなく四世帯となる幸せな家族を目指し、「健康」と「幸福」を両輪として、家族の理想的なモデルを築いていきたいと願っています。
2025-07-31