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カリスマ企業家稲盛和夫氏の逸話
カテゴリー 日本
「弊社創業者・名誉会長であり、KDDI株式会社最高顧問、日本航空株式会社名誉顧問、公益財団法人稲盛財団創立者の稲盛和夫氏(1932年1月30日享年90歳)は、2022年8月24日(水)、京都市内の自宅にて、老衰のため永眠しました。」(京セラHPより)

日本国内のカリスマ起業家として、逝去後、沢山の記念追悼の記事がありました。私の弟は稲盛和夫氏の名で、京セラに中途採用入社し、中国の天津工場にも長い時間で技術担当として勤め、稲盛会長と接触が多いから、沢山の逸話がありました。さすが国内外尊敬するカリスマ起業家、その影響力も日本だけではなく、海外にも大きくなるでしょう。

1984年4月に「人のため、世のために役立つことをなすことが、人間として最高の行為である」という自身の理念に基づき、稲盛和夫社長は私財を投じて稲盛財団を設立し、理事長(現在は「創立者」)に就任しました。ボランティアで、全104塾(国内56塾、海外48塾)、約15,000人の経営者が集まる経営塾「盛和塾」の塾長として、経営者の育成に心血を注いだ(1983年から2019年末まで)ことは、中国の沢山の「ファン」がいました。中国の盛和塾に深くかかわる方は天津市に在住しています。そのために、稲盛和夫会長は天津市の顧問になり、天津市に工場も設立しました。

弟は天津工場の技術担当になったばかりの時(2007年)、稲盛会長が天津工場を視察し、視察後、管理員の全員の前に、現状の評価は「最低の工場」と言い、もし会長自分でするなら、二ヶ月の生産量を倍にします。その後、工場の総経理を変わり、弟の管理権限を広がり、二ヶ月生産量を倍増しないけど、10年後、従業員は14000人から5000に精練して、生産量は20倍に出来、京セラ全工場のナンバーワンになりました。稲盛会長の一言で、工場の経営が変わりました。

または、太陽光発電まだ始まったばかりの時、稲盛会長は天津市に発電設備を寄付しました。天津開発区に京セラ看板と一緒に大きく設置した後、稲盛会長が見に来た時、大変怒りました。理由はなぜ学校などの所に設置しない。稲盛会長の寄付は、会社の宣伝など全く考えていないです。太陽光発電の啓蒙活動、子供の教育に貢献したい気持ちは、次元の違いがわかった弟は感銘しました。

残念ながら、2017年以後、多忙と心労で、身体の体調が良くない、素晴らしいカリスマ企業家が健康のための主治医がついていないことは、日本のトップ政治家と同じで、残念でした。
2022-09-06