陶氏診療院

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FFCテクノロジー研修感想二
カテゴリー 日本
赤塚会長講演、自分の人生論を語りました。青年時、アメリカ農業研修生活をはじめ、一人の未来より、仲間、日本人の未来をいつも考えています。

シャクナゲ日本に普及は40年間かかりました。現在180種類以上シャクナゲ種類ができました。里山を作るため、周囲の土地の購入から、理想を一歩ずつ近づきました。

日本の未来の居住区環境作るため、何回もアメリカ見学に行き、植物図鑑を見て、子供の顔ほど大きくなる花(シャクナゲとの出会い)を見て、買いたいと思いました。見学からビジネスに変換しました。シャクナゲ生産する会社へ見に行きます。

30万本苗ある会社の社長に買いたいと言ったら、それは予約生産商品で、売らないと断られました。どうしても欲しいと思って、新たに作って売ってほしいと頼みました。三重は皐月の産地になる時、生産、販売、値段設定などの計算得意です。シャクナゲの親株が目に入り、一本挿し木して、2か月後原価は約45セントで、50セントで15万の契約しました。シャクナゲ生産の二番手会社に5万本苗を購入して、シャクナゲ事業が始まった。

三重県は五月産地に育て、シャクナゲ品種開発も、いつも一人儲けことは考えない、皆さんに良くなることを考えます。シャクナゲ生産普及も、銀行に融資を願い時、地域の発展、日本の美しい環境作りの理由をしました。シャクナゲ栽培するため、指導員もアメリカへ送り、育成しました。三重県の生産地を作り、販売や品評会を作り、40年も続き、上手になるでしょう。当時、シャクナゲでは食べれないと言う人がでるけど、現在はみんなシャクナゲで生活が潤いました。アメリカは垣根はシャクナゲを使って、50メートルあるほど、初めて見た時、とても驚きました。現在、日本三重県の国道で、会社の横に、500メートル街路樹のシャクナゲロードを作りました。もともとシャクナゲは空気に要求が厳しいです。赤塚会社は排気ガスにも強いシャクナゲを作りました。

赤塚会長先かけた園芸ブーム:三重県のサツキ、洋ランシンビジューム、吊り鉢ボストンファーン、シャクナゲロード、鈴鹿の森庭園(枝垂れ梅林)・・・
2018-03-26