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北海道中国会と北海道中国工商会共催「北海道日中友好お花見大会兼留学生支援活動」
2025-05-03
留学動向から見える日本の未来

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第49回北海道中国人殉難者全道慰霊祭
カテゴリー 日本
6/29(日)第49回北海道中国人殉難者全道慰霊祭と日中友好の草の根の交流会が仁木町町民センターで開催されました。その後、慰霊祭を仁木町霊園中国烈士園・日中不再戦友好碑の前で行いました。
全道から140名以上の人々が参加して、戦争時期北海道内で犠牲になった強制労働者の御霊に謹んで哀悼の念を捧げました。
主催者が49年前の慰霊祭、一人の中国人も来ていません。今はたくさんの中国人(華僑華人・領事館領事・留学生など)の参加、とても嬉しいです。慰霊祭世話人代表、小樽商科大学学長和田健夫先生は挨拶で以下の言葉を述べました。
「戦争は多くの犠牲者をもたらすだけでなく、憎しみ、対立を生み、何世代にもわたって国民を苦しめます。本慰霊祭が、それを乗り越えるべく、関係者の方々のご尽力により続けられてきたことに深い敬意を表する次第です。戦後、多くの日本人が戦争の過ちを認め、真摯な反省の上にたって築いてきた平和主義は、昨今の複雑な国際政治の波に揉まれ揺れ動いてます。しかしながら、政治の世界がどのように変わろうとも、平和を願う人々の心を奪うことはできません。無辜の人々が受けた苦しみ、無念さに思いを寄せ、日中友好と東アジアの平和が永遠に続くことを祈念しております。」
北海道中国会が代表田義之社長、運営委員長陶恵栄など11名の会員が慰霊祭に参加しました。参加したほかの華僑華人団体は室蘭工業大学留学生(十名)、北海道地区中国留学生人員友好聯誼会(四名)、北海道在日中国科学技術者連盟(三名)、北海道華僑華人連合会(二名)、北海道札幌華僑総会(一名)、北海道華僑華人婦人会(一名)がおり、これから日本の学生も参加するように、主催者が期待しております。
附:北海道における中国人殉難者と慰霊祭の経過
太平洋戦争開始後約1年たった1942年11月27日、時の東条内閣は日本国内の重労働に従事する労働力の不足を補うために、中国人を強制連行することをきめました。この方針によって、中国の河北、河南、山東、山西など十数省から一般住民および軍事俘虜が日本に連行され、苛酷な強制労働に従事させられました。
その数は、少なくとも、41,762名と考えられ、このうち乗船した数は38,939名です。
北海道には、16,282名が、58の事業場に連行され、その配置総数は20,430名です。その内死亡者は3,047名で死亡率は18.7%にも達しています。これは当時の日本人の死亡率1.631%にくらべると、恐るべき数字であることが分かります。しかもこれは、わずか1年ほどの間のことですから、もし戦争が長引いていたら、連行された中国人はおそらく全滅したと思われます。
戦後になって日本国民は侵略戦争を深く反省しました。1953年「中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会」(大谷瑩潤委員長)を結成し、中国人強制連行事件の調査と遺骨収集送還運動を大規模に展開しました。
北海道でも同年6月に「北海道中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会」が結成され、全道58事業場の綿密な調査と遺骨の発掘・送還が行われました。また各地に中国人殉難者の慰霊碑が建てられ、慰霊祭も行われました。
こうした運動の一環として、日本鉱業大江鉱山の殉難者18名(船中死亡5名・大阪駅で死亡1名を含む)の慰霊碑が後志管内仁木町に建立されました。
これは日中友好協会小樽支部と北海道支部連合会が中心となり、広く道民各層の支援のもとに実現したものですが、また、当時の仁木町長高木太一氏も絶大な尽力と同町議会、同役場職員の並々ならぬ協力も忘れられないところです。
1966年10月29日の盛大な除幕式以来、毎年盛大な慰霊祭が挙行されています。「日中不再戦友好碑」という言葉どおり、単なる慰霊ではなく、再び戦争の道に進むことのないよう決意を固めたいと思います。
皆さんのご参列を心よりお待ちしています。
全道から140名以上の人々が参加して、戦争時期北海道内で犠牲になった強制労働者の御霊に謹んで哀悼の念を捧げました。
主催者が49年前の慰霊祭、一人の中国人も来ていません。今はたくさんの中国人(華僑華人・領事館領事・留学生など)の参加、とても嬉しいです。慰霊祭世話人代表、小樽商科大学学長和田健夫先生は挨拶で以下の言葉を述べました。
「戦争は多くの犠牲者をもたらすだけでなく、憎しみ、対立を生み、何世代にもわたって国民を苦しめます。本慰霊祭が、それを乗り越えるべく、関係者の方々のご尽力により続けられてきたことに深い敬意を表する次第です。戦後、多くの日本人が戦争の過ちを認め、真摯な反省の上にたって築いてきた平和主義は、昨今の複雑な国際政治の波に揉まれ揺れ動いてます。しかしながら、政治の世界がどのように変わろうとも、平和を願う人々の心を奪うことはできません。無辜の人々が受けた苦しみ、無念さに思いを寄せ、日中友好と東アジアの平和が永遠に続くことを祈念しております。」
北海道中国会が代表田義之社長、運営委員長陶恵栄など11名の会員が慰霊祭に参加しました。参加したほかの華僑華人団体は室蘭工業大学留学生(十名)、北海道地区中国留学生人員友好聯誼会(四名)、北海道在日中国科学技術者連盟(三名)、北海道華僑華人連合会(二名)、北海道札幌華僑総会(一名)、北海道華僑華人婦人会(一名)がおり、これから日本の学生も参加するように、主催者が期待しております。
附:北海道における中国人殉難者と慰霊祭の経過
太平洋戦争開始後約1年たった1942年11月27日、時の東条内閣は日本国内の重労働に従事する労働力の不足を補うために、中国人を強制連行することをきめました。この方針によって、中国の河北、河南、山東、山西など十数省から一般住民および軍事俘虜が日本に連行され、苛酷な強制労働に従事させられました。
その数は、少なくとも、41,762名と考えられ、このうち乗船した数は38,939名です。
北海道には、16,282名が、58の事業場に連行され、その配置総数は20,430名です。その内死亡者は3,047名で死亡率は18.7%にも達しています。これは当時の日本人の死亡率1.631%にくらべると、恐るべき数字であることが分かります。しかもこれは、わずか1年ほどの間のことですから、もし戦争が長引いていたら、連行された中国人はおそらく全滅したと思われます。
戦後になって日本国民は侵略戦争を深く反省しました。1953年「中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会」(大谷瑩潤委員長)を結成し、中国人強制連行事件の調査と遺骨収集送還運動を大規模に展開しました。
北海道でも同年6月に「北海道中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会」が結成され、全道58事業場の綿密な調査と遺骨の発掘・送還が行われました。また各地に中国人殉難者の慰霊碑が建てられ、慰霊祭も行われました。
こうした運動の一環として、日本鉱業大江鉱山の殉難者18名(船中死亡5名・大阪駅で死亡1名を含む)の慰霊碑が後志管内仁木町に建立されました。
これは日中友好協会小樽支部と北海道支部連合会が中心となり、広く道民各層の支援のもとに実現したものですが、また、当時の仁木町長高木太一氏も絶大な尽力と同町議会、同役場職員の並々ならぬ協力も忘れられないところです。
1966年10月29日の盛大な除幕式以来、毎年盛大な慰霊祭が挙行されています。「日中不再戦友好碑」という言葉どおり、単なる慰霊ではなく、再び戦争の道に進むことのないよう決意を固めたいと思います。
皆さんのご参列を心よりお待ちしています。





2014-07-30