陶氏診療院

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理想の人生の模範
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2025年10月17日午前、「苦しまず安らかに息を引き取られた」として、大分県出身で同県初の内閣総理大臣を務めた村山富市さんが、大分市内の病院で老衰のため逝去されました。享年101歳、大往生でした。

村山さんは1994年、70歳のとき、自民党・社会党・新党さきがけによる「自社さ」連立政権で、県出身者として初めて総理大臣に就任しました。戦後50年の節目には、時の首相として初めて「侵略」や「お詫び」という言葉を用いた「村山談話」を発表し、平和への強い思いを示した政治家として知られています。

2004年7月10日発売の『週刊現代』には、「村山富市元首相も来た 中国4000年の秘伝『禅密気功』に潜入」という記事が掲載され、村山元首相が中国の気功療法を受けたことが紹介されました。気功師の記録によると、村山元首相を含むご家族が時折治療を受けており、体調を崩した際にも気功によって気力を回復されたと伝えられています。

また、2025年10月18日には、35歳だった1957年、中国系米国人の李政道博士(1926〜2024)とともに、中国人として初めてノーベル物理学賞を受賞者の楊振寧(ヤン・チェンニン)氏が北京市内で病気のため亡くなりました。享年103歳でした。

1922年安徽省生まれの楊氏は、安徽省合肥に生まれ、西南聯合大学で学士号を、清まし華大学で修士号を取得した後、1948年に米国シカゴ大学で物理学博士号を取得しました。米プリンストン高等研究所在籍中に「素粒子の弱い相互作用におけるパリティ(対称性)の非保存」を提唱し、1957年、共同研究者の李政道(ツゥン=ダオ・リー)氏とともにノーベル物理学賞を受賞しました。また「ヤン=ミルズ理論」と呼ばれる非可換ゲージ場理論を開拓し、その後この理論から5件ものノーベル賞が生まれるなど、現代物理学に計り知れない影響を与えました。

2000年には、科学誌『ネイチャー』が選出した「過去1000年間で最も偉大な物理学者20人」の一人として名を連ね、当時、唯一の存命者でもありました。晩年は清華大学で多くの若手科学者を育て、平和と科学の発展に尽力しました。

楊氏は1964年に米国市民権を取得して米国で活動していたが、1999年に清華大学高等研究院の教授に就任して中国に定住し、その後、2015年に米国籍を放棄し、中国国籍を取得した。最初の妻と死別した翌年の2004年には、54歳年下の20代大学院生、翁帆さんと結婚し、大きな話題を呼んいました。

10月19日、南都N動画の記者は、楊氏の妻である翁帆氏が追悼のメッセージを投稿したことを知りました。「楊氏は、彼の逝去を大変喜んでいたに違いありません。彼の人生は、国家の復興、国の繁栄、そして人類の進歩に、輝かしい貢献をされました。」

村山富市さんと楊振寧さん――お二人の人生は、現代人にとって理想の生き方の模範といえるでしょう。大きな志をもち、人生をかけて偉業を成し遂げ、そして穏やかに最期を迎えられたその姿は、真に「立派な生」と「立派な死」を体現されたものと感じます。深く敬意をもって、心からご冥福をお祈り申し上げます。
2025-10-20